青城SS | ナノ
「俺、卒業したら海外に行くんだ」

自分の進路の目標すら定まっていないという時期に、及川は唐突にそんなことを口にした。

「……ほう」
「なにその反応」
「なにって言われても。現実味がないっていうか、自分の進路の方が心配っていうか?」
「ああ、そう。そうだよね、ナマエってそういう子だよね!?」
「なに怒ってるの? それにさ、来月、来週、明日まで私たちが付き合ってるっていう保証もないし?」
「はあ!? 少なくとも明日はないでしょ!?」
「それに私たちが別れなくても、世界の方が先に終わるかもわからないじゃん?」

もう勘弁してよ。そう言って項垂れた及川の、柔らかい髪の毛をいじりながら、そうか、この人はいずれ遠くにいってしまうのかとぼんやりと考えた。


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「あのさ、考えたんだけど」
「ん?」
「私、遠距離って無理だと思うんだよね」

目を丸くして固まる及川は、言葉の意味を理解できていないようだ。だから「遠距離、無理だと思うんだよね」と同じ言葉を二度言う。すると「はあ!?」と綺麗な顔を歪めて大声を響かせた。

「ちょっと待って。それ、明日日本から離れる俺に言う!? もっと他に言うタイミングあっただろ!」

もうしばらく会えないね、なんて言いながら親不在の私の家で、買ってきたお菓子とお茶を飲みながら再放送のドラマを二人で見ていた。横を見たら及川がいるこの光景も、今日で最後なんだなって思ったら、なんだかそれは嫌だな、無理だなって思った。

「私、自分で思ってたより及川のこと好きだったみたい」
「んん? ならなんで」
「及川がいなくなるでしょ? それで及川がいない毎日を過ごして、大学でそこそこ優しくてそこそこ格好いい男子に好きだよって言われたらさ、多分私なびいちゃうと思うんだよね」
「……びっくりするくらい正直だね。いや、そこが好きなんだけど。……でも本当になんで今なんだよ。ナマエさ、俺が最初に日本を出るって言ったとき何て言ったか覚えてる?」
「寂しくて死んじゃう?」
「全然違う。自分の進路が心配って言った」
「及川って結構根に持つタイプだよね」

口角を片方だけつり上げて、わなわな。そんな音が聞こえてきそうな表情で「なんで今まで何も言ってこなかったのに今日になって言うわけ? 普通こういうのって今日までに話し合ったりなんだりする話だからね?」そう一息に捲し立てた。怒ってるみたいに声を尖らせて、泣いているみたいに喉を震わせて、最後には頭を抱え込んでしまった。そして暫くの沈黙を挟んで、前髪をかきあげなから私を睨み付ける。

「確認するけど、俺を試してんの? それとも本気で別れたいの?」
「わかんない」

でもさ、及川が日本を離れて、私一人思い出溢れる街に置いてけぼり。そこで私は一人で過去をかき集めて、それを抱えて生きていくなんてしんどいなって思う。

「及川が世界の反対側で頑張ってるってわかってても、寂しくなって、他の男になびいて、そんな自分が嫌になって、最後にはそばにいてくれない及川を嫌いになる気がする」
「なあ、本当に。……なんで今言うんだよ」
「……今、現実味が出てきたから?」

及川は乱暴に頭をかき混ぜた。そして重苦しいため息を吐いて、私を更に睨み付ける。

「お前、俺以上に誰かを好きになれんの」
「そんなのわかんないけど、寂しさを埋めたくはなると思う」
「俺以外のやつで埋まんの、それ」
「だっていなくなるんじゃん」
「それでも無理だね。ナマエが俺以外の男に惚れるなんてないね」

お前には無理。そう呪いをかけるみたいに低い声が私の胸の奥、心臓の端っこのほうをちくりと刺した。

「さっきからさ、正気? 言ってて恥ずかしくないの? どこからその自信が?」
「……正気だよ。正気だけど自信なんてないし、言ってて恥ずかしいよ! でもそうまでしてでも別れたくないし、繋ぎ止めたいって思う俺の気持ちも考えろよ」

繋ぎ止める。その言葉を具現化するように強く私の手を握って、すがるような視線が私の良心をつねる。

「及川は勝手だなぁ」
「まあ、確かに勝手だよ。でも俺はナマエが好きで代わりなんていないし、バレーも諦めたくないんだよ」
「欲張りだね」
「……欲張りで悪いかよ。あのさ、俺のこと好きなんだよね? ならそんな欲張りで身勝手な俺を許してよ」

ぐえって、変な声がでてしまうくらい、強く強く抱き締められた。ああ、好きだなって思うけど、やっぱりいつかは彼を裏切ってしまうんじゃないかなって後ろめたさが私の後ろ髪を引いている。

「うん、及川が好きだよ。でも待ってないからね。及川以上の人が現れたら、私はその人を好きになるからね」
「いいよ。俺以上なんていないと思うけど。もしそうなっても、奪いに行くし」
「そうなったら、もう現れないで欲しいかな」
「ほら、やっぱり俺じゃないとダメじゃん」

身体を離してまるで勝ったとでもいいたげな、ちょっと幼く笑った顔。こんな時にそんな笑いかたをするなんて、ずるいなって思う。

「絶対迎えに行く」
「いいよ約束なんて。約束なんてして縛られたくない」
「やだね。嫌いになってもいいから想っててよ」
「えーでも及川が他の女の人を好きになるかもしれないじゃん?」
「じゃあ、ナマエが迎えに来て」
「めちゃくちゃな……」
「大丈夫。ナマエは俺以外好きにならないし、俺もナマエ以外好きにならない」
「怖いこと言わないでよ」
「どこが怖いんだよ」

怖いよ。たまらなく恐ろしいよ。私は及川しか好きになれないのに、及川は私の隣にいてくれるわけじゃない。そんなの生き地獄ではないか。だから私は、願いを口にする。「私、及川じゃなくても幸せになれると思うんだよね」って、そうなれますようにって精一杯願う。

「ふーん。俺はなれないけど」

そんなこと言っても、いなくなるくせに。幸せを置いていくくせに。本当に身勝手なやつ。酷い人。

「いいの? ナマエの好きな男が幸せになれなくて」
「そこはもう知らないよ。自分で選んで離れていく人のことなんか」

それもそうかって、及川が笑った。ふっきれたような、諦めたような、清々しい声を出して笑った。その声も表情も、もしかしたら最後になるのかって思ったら、やっぱり心臓の端っこがちくちくして、少しだけ泣きたい気持ちになる。そんなのお構い無しに及川は暫く笑っていた。そしてそれが落ち着くと、今度は疲れたとでもいいたげな、脱力した視線を向けられた。

「はーあ。もしかして俺今、振られかけた?」

本気で別れたかったわけではない。ただ、行かないでって言えないから、私は遠距離耐えられそうにないなって伝えた。最後に困らせたかったのか、本当の本当は終わらせてしまいたかったのか。そのへんは正直わからない。

「でも振られるの慣れてるでしょ」

元カノいっぱいいるもんね。そう言ってやれば、「実はずっとケンカ売ってる? 俺のこと煽ってるとしか思えないんだけど」といじけてるみたいに怒った顔をするものだから、もっと振り回してなんなら泣かせたくなった。まあ、なにを言っても及川は泣かないだろうけど。でもこれから先、私ばっかりじゃなくて、及川も向こうで私を想ってたまには泣けって思う。

「そう言えば私、まだ処女なんだけどどうしようか」

目を真ん丸にして、全身の毛を逆立てたみたいにぶるぶると身を震わせた及川が唾を飲み込んだ。その顔、初めて見るなって思ったら、どこからか愛しさが顔を出して私の首を絞める。息苦しくて、胸が痛くって、視界が潤んで、やるせない。

「今日の話の流れだと私、及川じゃない人と初めてすることになるかもしれないけど」
「はは、ほんっとにお前さぁ。煽るのが上手いよね」

及川は苦しそうに顔を歪めて、ゆっくりと私を押し倒す。そしていつもと違う、余裕のないキスをした。
これからする行為が最初で最後になるのかわからないけれど、明日、及川のいる世界が終わる。だからさよならの前に、あなたに私を、私にあなたを。

二年後くらいには会いに行く。

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